きょう8月6日は広島原爆の日です 77年前のあの日、壮絶な体験をした被爆者たち この声を今こそ世界へ N
1945年に広島・長崎に原爆投下されてから、2022年の今日に至るまでの世界の核弾頭数の推移。アメリカ1国保有から現在9カ国へ核拡散してきた様子がよく分かります。 (*広島平和記念資料館展示より。太平洋に映る影は関係ありません?…
露国連次席大使が国連事務総長を批判、米国が広島と長崎に原爆を落としたことを言及すべき
私の父方の祖母は、終戦の年に広島に住んでいた。祖父が病死し「広島も危ない」と言われて45年7月に疎開した。その直後の原爆投下。住んでいたのは爆心地。「ご近所に連絡をとったが誰一人連絡がとれなかった」と祖母が語ったことが忘れられない。人々の人生を一瞬で断ち切った悪魔の兵器の廃絶を。
8月6日の広島の平和式典に出席するたび、8時15分という人々の出勤・通学の時間を狙って原爆を投下した米軍の非道に強い憤りをもつ。しかも広島から岡山方面に一旦向かうと見せ、人々を安心させたうえでの原爆投下だったことも明らかにされている。この戦争犯罪は歴史によって裁かれねばならない。
きょう8月6日は広島原爆の日です 広島で被爆し去年96歳で亡くなった坪井直さん 核兵器の廃絶を、生涯訴え続けました 今を生きる若者に語った言葉です
8月6日は広島原爆の日です 16歳の時、爆心地から1
広島に原爆が投下された日、河内光子さんは13歳で勤労動員中に被爆しました。御幸橋で忘れられない光景を目にします。「女性が黒く焦げたような赤ちゃんを抱いて『起きてや、起きてや』と叫びまわっているんです。動かないんです、子どもが。私は…
本日は広島の原爆被爆者慰霊祭。総理や広島県知事、広島市長などが次々に核廃絶を訴える。彼らはウクライナの戦争を見てもなお目覚めることは無い。核廃絶は出来る訳もなくその主張は核武装国の優越的地位を守ることに貢献するだけ。日本を取り戻すにはまず総理に目覚めてもらわねばならない。
/ 「過ちをこれ以上繰り返してはならない」 被爆から77年 広島・原爆の日 \