昨日大学病院で、小川先生から、医師の着る襟の立ったユニフォームのことを「ケーシー」って呼ぶんですよという話を聞いて、「へえ、でも、名前の由来になったベン・ケーシーもケーシー高峰も、知ってる人、いまの若いお医者さんにはいないだろうな」と思ったところでした。合掌。
結局、AERA、共同通信、東京新聞、朝日新聞の四社に新元号についてのコメントを電話で話し、まとめてきた記事を添削してお戻し。しかし、ウチダの私見がこのように広範囲に「識者の意見」として広まってよろしいのでしょうか(僕はいいんですけどね)。
AERA、共同通信、東京新聞、朝日新聞から電話取材。新元号について1時間位しゃべって、ちょっとうんざりしてきました。「国書から」と誇らしげに発表したのに後漢の詩人張衡の「仲春令月時和気清」が出典でしたという粗忽さがちょびっと恥ずかしいです。
新元号について4月1日取材の予約が2件ありましたが、新元号に現政権に阿る解釈を許す文字が含まれていた場合には、僕は以後二度と元号を使いませんし、「元号」という語そのものを使わないことにしますので、電話取材にも「え?元号って何ですか?」とご返事しますのでご了承ください。
某紙から電話取材。ピエール瀧報道一色のテレビの異常さについて。テレビを主な情報源にしている人とそれ以外の人では、見えている世界が調停不能なくらいに違ってきているので、テレビメディアは国民的合意形成のプラットフォームとしてはもう機能しなくなったという話をしました。
ふだんはテレビをつける習慣がないので、日本の朝のテレビというのがどういうものか知りませんでしたが、部屋のテレビが朝からつけっぱなしだったので、聞き流しておりましたが、すごいですね。もう1時間近くピエール瀧の話だけしかしてません。この国のメディアもう気が狂っているみたいです。
「安」がその時点での権力者に阿る人たちが忖度したものだとしたら、これほど元号の価値を貶めるふるまいはないですね。僕は元号擁護論者ですけれど、新元号に「安」が入っていたら(「晋」でも)、死ぬまで二度と元号を使いません。
橋本治さんについて書いた文章を三つあげておきます。一番古いのが2005年に橋本さんとはじめて会った直後のブログ日記。一番新しいのは去年書いた『98歳になった私』の書評です。長いですけど、お時間があれば順番にどうぞ。
そういえばどうして今の奥さんと結婚することになったのか、理由の一つを思い出しました。25年くらい前に僕が橋本治が大好きだと言ったら、「私も本一冊持ってます」というので、「何?」と訊いたら「『アストロモモンガ』」。この人とならどこまでも行けそうな気がしたのでした。
僕の本、韓国語と中国語訳は20冊くらい出ているんですけれど、欧米語の翻訳書はゼロです(論文はいくつか訳されますけれど)。この非対称性は何を意味するのでしょう。東アジア限定的に共感度が高いテクストがありうるのでしょうか。あるとしたら、どういう条件を満たしたら、そうなるのか。うむむ。