自民党の世耕参院幹事長、吉川赳衆院議員について「議員辞職すべきだ」との考えを表明した。「さっさと党は出て行ってもらったが、比例復活の議員なので自民党の議席だ。議員辞職も求めていきたい」時事通信。 国会で少なくとも118回虚偽答弁したとんでもない議員がまだいますが。
満州事変以降の日本の戦争は自衛戦争だった、というのが高市早苗氏らの考えのようだけど、それでいくと今回のロシアの行動も自衛行動?
三笠宮の言葉「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」建国記念の日創設…
「太陽の季節」で芥川賞をうけた直後、23歳の石原慎太郎氏はこう話していた。 「憲法改正や再軍備は、再びわけのわからぬ国家意識を復活させるから反対。コスモポリタン的で開放的な、今の憲法の明るさがいい」1956年6月25日付朝日新聞。石原慎太郎氏死去。
佐渡島の金山をめぐる報道で、読売までが(引用ではなく)地の文で「歴史戦」なんて言い出した。これは「日本は何も悪くない史観」「日本被害者史観」を主導する産経が旗印のように使ってきた言葉。気持ちはもう産経といっしょということか。
全斗煥氏死去。産経新聞社長鹿内信隆は80年9月、全斗煥大統領の就任式に出席。「韓国民が国家の安全と社会の安寧のため、理屈を超えて、一日も早く、ニュー・リーダーのもとに団結しようとする熱意と熱望が、痛いほど感じられた」と韓国紙に寄稿し、軍事政権を励ました。当時、産経は親韓派だった。
「私がいなくなれば大変なことになる」と苦戦の自民党・甘利幹事長。 大丈夫です、そう言って落選した議員はたくさんいますが、それで日本が大変なことになったことは一度もありません。ご心配なく。
高市早苗氏は「満州事変から大東亜戦争に到るまでの日本の軍事行動の『当時における大義』は……『自存自衛だった』と言わざるを得ない」(諸君!02年11月号)と言うが、憲法学者の横田喜三郎は満州事変当時「日本の軍事行動は自衛行為ではない…
横浜市長選。「地方自治における選挙の結果が、国政に反映することはない」と自民党・森山国対委員長。 いやいや、今回は、国政における自民党不信が地方自治における選挙の結果に反映したのです。
東京の緊急事態宣言延長について、丸川五輪相は「大会とは全く別に判断されるもの」と述べた。日本テレビ。 コロナの位置づけがまた変わった。「打ち勝つ」対象から「全く別」のもの、無関係なものへ。「何がどうなろうと関係ない、安心安全もう無理」宣言。