トロッコ問題は、私たちがふだん何気なく考えている無意識の構造の前提を明らかにすることですぐれた思考のきっかけになる。功利主義や評価関数、倫理の文脈依存性などについて、カントや神経科学を参照して考える上で、これほど適切な問題はない。
いずれにせよ、新聞社がトロッコ問題の学校現場への導入についてあのような記事を書く背景には、一般に、日本の学校において不確実性が伴うような問題において理性に基づく批判的思考を養うことが忌避されていることと無縁ではないと思う。あの記事のスタンスはナイーブで、洞察が足りなかった。
「みんなでいっしょに」「人にやさしく親切に」「他人の気持ちがわかる人」のようなゆるふわの道徳的スローガンの方が、よほどコミュニティや不良設定問題や評価関数といった側面において、突き詰めれば「トロッコ問題」よりも深刻な相反があって、鋭い子はむしろそっちに「不安」になるのではないか。
「トロッコ問題」のトリビアルな矛盾には気づくのに、「みんないっしょにやさしく人に親切にしましょう」といったゆるふわの中の矛盾には気づかないということが日本の教育の現状における致命的な脆弱性、欠落と関連していて、今回のニュースはそのような構造を露呈してしまっていると私は考える。
「トロッコ問題」のトリビアルな矛盾には気づくのに、「みんな…
トロッコ問題は、自動運転などの領域での倫理判断を問う学術的に本質的な問題設定で、子どもたちが考えるのは有意義であって、謝罪することではない。むしろ、もっと曖昧な「道徳」の問題設定の方が疑問。 RT 授業で「トロッコ問題」 岩国の小…
この手紙を書いた方、「みんな◯◯だ」という全称記号 ∀ の使い方があきらかに間違っていますよね。 よく、子どもで、自分の主張を強調するために「みんな」と言う人いるけれども、論理的にはそんなわけないわけで(笑)。 メドベージェワ…
田口さんの土下座を「強要」するような世間があるとしたら、そんな世間は間違っているし、しかし反応を見ていると、そんな世間があるわけでもないようで、つまり、田口さん側が土下座をするということを決められてやって、世間側はどちらかというと「やりすぎなんじゃないか」と思ったのだろう。
田口さんは、土下座などしないで、一礼して、おだやかに、しずかに、自分の思いを言われればよかったのだと思う。土下座は時代錯誤だし、以上にのべたような理由で、心の平穏から離れて適切ではなかったと感じた。
元KAT-TUNメンバーの田口淳之介さんが保釈されたときに、土下座をされて謝罪されたことだけれども、ぼくは、もともと薬物の使用は犯罪というよりも公衆衛生上の問題だと思っているし、御本人が反省されているのはわかるけれども、あれはやりすぎではないかと思う。