今宮純氏。 F-1中継での冷静な解説が好きでした。 若い方はご存知ないかもしれませんが、かつてホンダは「世界最強」でした。F-1で、ホンダが16戦15勝。ホンダの2台が、残る全ての車を周回遅れにしたレースもありました。 あの日の…
元潮丸の東関親方が死去。 ここ数年は、病と闘い続けていた。 靭帯が骨のように固まる病にはじまり、がん。そして、がんの全身転移。 高砂一門を率いる八角親方を、兄と慕っていた。 「申し訳ないほど微力ですけど、俺がついていますから」と、八角理事長が一番つらい時期を支え続けていた。
大相撲の親方は、年寄、主任、委員と出世を重ねる。 まだ主任だったとき。審判に抜擢された東関親方は、涙をにじませて喜び、その責任の重さに、文字通り身を震わせていた。 野見宿禰の例祭で、審判には、煮しめや赤飯が配給される。 それを大切…
審判になるとき、東関親方から、相談を受けた。 審判とは、何かーーと。 僕は、中改メと呼ばれた審判の歴史とともに、たとえ行司が吹っ飛ばされても、そっちではなく、勝負を見つめるのが審判、と伝えた。 テレビで、真剣に土俵を見つめる東関…
ラグビー日本代表のユニホームについて 「あの茹でた車海老みたいなのは、どーなんだ」と、被服が専門の某友人に振ったら… 「赤のボーダーというデザインを踏襲しつつ、ユニホームで体を大きく見せる完璧なデザイン。ただ、似合うのはラガー…
栃ノ心が、いま万全の体からほど遠いことを、知っている。 体を治し、2ヶ月後の夏場所で2ケタ白星を挙げ、大関に返り咲くことを、信じている。
僕が家族を支えたのは、もう19年も前。その時でも、すでに白血病は(様々ある白血病の一種類ではあるが)、高確率で完治し得る病だった。19年後のいま、その治癒率はさらに向上している。 もちろん、最終的には骨髄移植にすがるしかないのだが、当時ですら、白血病=骨髄移植、ではなかった。
ぼそりと、一言。 「いつか、勝ちたいなあ……。ねえ、いつか勝てると思います?」 と玉鷲。 「そんな『玉鷲の押し相撲』を、いつか見せてくださいよ」 と僕。 何年かかったろう。 おめでとう、玉鷲関。
大相撲初場所12日目 白鵬に、土 玉鷲の白鵬初挑戦は、名古屋だったと記憶しています。 あの日、玉鷲は西の支度部屋に最後までいました。玉鷲、付け人、それに僕だけになると、「やってみたかったんですよねえ」と呟くと、バスタオルをマント…
バスタオルをはためかせながら、支度部屋を行ったり来たり。 そのバスタオルを僕に渡し「やってみて。楽しいよ」と。 濡れたバスタオルをマントにして、全力ダッシュ。ビニールシートに滑って盛大に転ぶと、みんなで大笑い。再びマジ走りした玉鷲…